2016年10月2日日曜日

井伊直憲・井伊直安の帰国届

 

「井伊直憲同直安帰朝届」(部分)
出典:『公文録・明治六年・第二百十三巻・明治六年十一月・東京府伺(二)華族』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 公00951100
 

【釈文】
戸第百壱号
私儀
西洋各国奉願視察明治五壬申年十月廿四日横浜
出帆同十一月十六日亜国サンフランシスコ着港同月廿二日同所
発車十二月朔日ニウユルク府ブロクリンニ着滞在中ワシ
ントンボストンエモ罷越本年三月廿二日同所発艦同
三十一日英国リバーホール江着四月一日ロンドン府江着
八月十二日同所発途同日仏国ハリス江着八月廿二日同
所発途夫ヨリ各都巡行九月十五日再ハリス江着
同月廿六日同所発途同廿八日マルセールヨリ発艦
昨十五日午前九時横浜着港同午後五時帰京仕候
此段御届仕候也
   明治六年十一月十六日
第五大区小二区   
華族     
井伊直安  
 東京府知事
  大久保一翁殿
 

【読み下し文】
戸第百壱号
私儀
西洋各国視察願い奉り、明治五壬申年十月廿四日、横浜出帆。同十一月十六日、亜国サンフランシスコ着港。同月廿二日、同所発車。十二月朔日、ニウユルク府ブロクリンに着。滞在中ワシントン・ボストンえも罷り越す。本年三月廿二日、同所発艦。同三十一日、英国リバーホールえ着。四月一日ロンドン府え着。八月十二日、同所発途。同日、仏国ハリスえ着。八月廿二日、同所発途。それより各都巡行。九月十五日、再びハリスえ着。同月廿六日、同所発途。同廿八日、マルセールより発艦。昨十五日午前九時、横浜着港。同午後五時、帰京つかまつり候。この段、御届つかまつり候なり。
   明治六年十一月十六日
第五大区小二区   
華族     
井伊直安  
 東京府知事
  大久保一翁殿
 

【コメント】
 井伊直安の帰国届です。兄の直憲もほぼ同文の届を提出しています。届は東京府を経て太政官へ提出されました。
 行程は詳しく書かれているのですが、2人が何を学んできたのか、この文書からはわかりません。文中の「ハリス」はパリです。都市を中心に見学したようですね。
 ロンドンへの滞在期間が4ヶ月以上で、非常に長いです。もしかするとロンドンでまとまった勉強をしてきたのかもしれません。
 直憲は井伊直弼の次男で元彦根藩主、直安は直弼の三男で元与板藩主です。それぞれ1848年、1851年の生まれですから、1873(明治6)年の時点ではまだ20歳代の半ばです。2人は後に貴族院議員を務めます。直安は長生きで、1935(昭和10)年まで存命でした(年齢・経歴等は『日本人名大辞典』による)。
 

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