「警視総監従三位子爵三島通庸特旨ヲ以テ陞叙ノ件」(部分)
出典:『官吏進退・明治二十一年官吏進退二十三・叙位』(請求番号 任A00189100)
【釈文】
内閣第八十五号 十月廿一日裁可 同日達
明治廿一年十月廿一日
内閣書記官
内閣総理大臣
内閣書記官長
警視総監従三位勲三等子爵三島通庸特ニ位階
勲等進叙ノ件
警視総監三島通庸ハ明治四年十一月東京府出仕
拝任爾来数官ニ歴任シ多年恪勤其功労不少就中
山形県令福島県令等ノ職ニ在テ新道開鑿ノ如キ
数年間刻苦勉励竟ニ成功其公益ヲ起スコト少シト
セス十四年十一月中該地巡幸ノ際錦一巻ヲ賞賜セラ
レタリ且去廿年五月勲功ニ依リ華族ニ列セラレ特ニ子爵
ヲ授ラレタル者ニ有之然ルニ近日病痾ニ罹リ即今危篤
ノ趣ニ付此際特旨ヲ以テ位階一級進メラレ勲二等ニ進
叙セラレ可然哉仰裁
警視総監従三位勲三等子爵三島通庸
特旨ヲ以テ位階被進
従三位勲三等子爵
叙正三位
賞勲局ヘ達案
今般特旨ヲ以テ警視総監正三位勲三等子
爵三島通庸勲二等ニ可被叙ニ付諸事取
計フヘシ
明治二十一年十月廿一日
総理大臣
賞勲局総裁宛
【読み下し文】
内閣第八十五号 十月廿一日裁可 同日達
明治廿一年十月廿一日
内閣書記官
内閣総理大臣
内閣書記官長
警視総監従三位勲三等子爵三島通庸特に位階勲等進叙の件
警視総監三島通庸は、明治四年十一月、東京府出仕拝任、爾来数官に歴任し、多年恪勤その功労少なからず。就中(なかんずく)山形県令・福島県令等の職に在りて新道開鑿の如き、数年間刻苦勉励ついに成功、その公益を起すこと少なしとせず。十四年十一月中、該地巡幸の際、錦一巻を賞賜せられたり。かつ去廿年五月、勲功により華族に列せられ、特に子爵を授られたる者にこれあり、然るに近日病痾に罹り、即今危篤の趣につき、この際特旨をもって位階一級進められ勲二等に進叙せられ然るべきか。裁を仰ぐ。
警視総監従三位勲三等子爵三島通庸
特旨をもって位階進められ、
従三位勲三等子爵三島通庸
正三位に叙す。
賞勲局へ達案
今般特旨をもって、警視総監正三位勲三等子爵三島通庸、勲二等に叙せらるべきにつき、諸事取計ふべし。
明治二十一年十月廿一日
総理大臣
賞勲局総裁宛
【コメント】
前回紹介した「警視総監従三位勲三等子爵三島通庸特ニ位階勲等進叙ノ件」の後に綴じられている文書です。
「新道開鑿」が主要な功績として取り上げられています。「土木県令」として知られる三島らしい評価といえるでしょう。ただ、三島の積極的・先駆的なインフラ整備は、一方で福島事件などのトラブルの原因の一つにもなります。
文中に三島が危篤であると書かれています。彼が亡くなるのは1888(明治21)年10月23日です(「三島通庸」『国史大辞典』)。この文書の裁可からわずか2日後のことでした。
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