ラベル 華族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 華族 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年10月17日月曜日

貴族院成立






「貴族院成立ス」(部分)
出典:『公文類聚・第十四編・明治二十三年・第三巻・政体三・議会二・布告式・制度雑款(暦気象度量衡)』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 類00449100 

【釈文】
本日部会相定リ貴族院成立致候間
別紙相添此段及御通報候也
                                                       貴族院議長伯爵伊藤博文  
   明治二十三年十一月廿五日
  内閣総理大臣伯爵山県有朋殿 

(別紙)
第一部
 部長
  正二位侯爵浅野長勲
 理事
  従三位子爵鍋島直彬
 部員
  従一位侯爵九条道孝
  従一位侯爵醍醐忠順
  従二位侯爵蜂須賀茂韶
(以下、名簿略) 


【読み下し文】
 本日、部会あい定り、貴族院成立いたし候あいだ、別紙あい添え、この段御通報に及び候なり。
                                                       貴族院議長伯爵伊藤博文  
   明治二十三年十一月廿五日
  内閣総理大臣伯爵山県有朋殿
 
(名簿省略) 
 

【コメント】
 1890(明治23)年、貴族院の開会を通知する文書です。いわゆる第一議会の開会です。波瀾万丈の初期議会のはじまりです。

 帝国議会は衆議院と貴族院の二院制であり、貴族院は華族や多額納税者を中心に構成されていました。初期議会では自由民権運動の流れをくむ「民党」が牛耳る衆議院に対し、貴族院は藩閥・官僚寄りで、法案や予算案をめぐって対立します。

 非常に事務的な文書ですが、大河ドラマなどでお馴染みの人物やその子孫もたくさんいます。中には「まだ、いたんだ」(失礼)と思うような人もいますね。九条道孝とか(調べてみたら1839年生まれで、そんなに高齢でもありませんね)。

 上から拾っていきますと、最後の広島藩主の浅野長勲、元徳島藩主で後に大臣などを歴任する蜂須賀茂韶、岩倉使節団の山口尚芳、『八重の桜』に登場した槙村正直、明六社で知られる加藤弘之・中村正直、官僚出身の尾崎三良などなど、そうそうたるメンバーです。

 名簿はまだまだ続きます。興味がある方は国立公文書館のWebページで閲覧してください。例えば、元琉球国王の尚泰、当ブログでも言及した元彦根藩主の井伊直憲、『花燃ゆ』のヒロインの夫楫取素彦、軍人として知られる谷干城・三浦梧楼、徳川宗家16代目の徳川家達、実業家の野村治三郎・下郷伝平などの名前が挙がっています(以上、『日本人名大辞典』等参照)。

2016年10月2日日曜日

井伊直憲・井伊直安の帰国届

 

「井伊直憲同直安帰朝届」(部分)
出典:『公文録・明治六年・第二百十三巻・明治六年十一月・東京府伺(二)華族』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 公00951100
 

【釈文】
戸第百壱号
私儀
西洋各国奉願視察明治五壬申年十月廿四日横浜
出帆同十一月十六日亜国サンフランシスコ着港同月廿二日同所
発車十二月朔日ニウユルク府ブロクリンニ着滞在中ワシ
ントンボストンエモ罷越本年三月廿二日同所発艦同
三十一日英国リバーホール江着四月一日ロンドン府江着
八月十二日同所発途同日仏国ハリス江着八月廿二日同
所発途夫ヨリ各都巡行九月十五日再ハリス江着
同月廿六日同所発途同廿八日マルセールヨリ発艦
昨十五日午前九時横浜着港同午後五時帰京仕候
此段御届仕候也
   明治六年十一月十六日
第五大区小二区   
華族     
井伊直安  
 東京府知事
  大久保一翁殿
 

【読み下し文】
戸第百壱号
私儀
西洋各国視察願い奉り、明治五壬申年十月廿四日、横浜出帆。同十一月十六日、亜国サンフランシスコ着港。同月廿二日、同所発車。十二月朔日、ニウユルク府ブロクリンに着。滞在中ワシントン・ボストンえも罷り越す。本年三月廿二日、同所発艦。同三十一日、英国リバーホールえ着。四月一日ロンドン府え着。八月十二日、同所発途。同日、仏国ハリスえ着。八月廿二日、同所発途。それより各都巡行。九月十五日、再びハリスえ着。同月廿六日、同所発途。同廿八日、マルセールより発艦。昨十五日午前九時、横浜着港。同午後五時、帰京つかまつり候。この段、御届つかまつり候なり。
   明治六年十一月十六日
第五大区小二区   
華族     
井伊直安  
 東京府知事
  大久保一翁殿
 

【コメント】
 井伊直安の帰国届です。兄の直憲もほぼ同文の届を提出しています。届は東京府を経て太政官へ提出されました。
 行程は詳しく書かれているのですが、2人が何を学んできたのか、この文書からはわかりません。文中の「ハリス」はパリです。都市を中心に見学したようですね。
 ロンドンへの滞在期間が4ヶ月以上で、非常に長いです。もしかするとロンドンでまとまった勉強をしてきたのかもしれません。
 直憲は井伊直弼の次男で元彦根藩主、直安は直弼の三男で元与板藩主です。それぞれ1848年、1851年の生まれですから、1873(明治6)年の時点ではまだ20歳代の半ばです。2人は後に貴族院議員を務めます。直安は長生きで、1935(昭和10)年まで存命でした(年齢・経歴等は『日本人名大辞典』による)。