「貴族院成立ス」(部分)
出典:『公文類聚・第十四編・明治二十三年・第三巻・政体三・議会二・布告式・制度雑款(暦気象度量衡)』
国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
請求番号 類00449100
【釈文】
本日部会相定リ貴族院成立致候間
別紙相添此段及御通報候也
貴族院議長伯爵伊藤博文
明治二十三年十一月廿五日
内閣総理大臣伯爵山県有朋殿
(別紙)
第一部
部長
正二位侯爵浅野長勲
理事
従三位子爵鍋島直彬
部員
従一位侯爵九条道孝
従一位侯爵醍醐忠順
従二位侯爵蜂須賀茂韶
(以下、名簿略)
【読み下し文】
本日、部会あい定り、貴族院成立いたし候あいだ、別紙あい添え、この段御通報に及び候なり。
貴族院議長伯爵伊藤博文
明治二十三年十一月廿五日
内閣総理大臣伯爵山県有朋殿
【コメント】
1890(明治23)年、貴族院の開会を通知する文書です。いわゆる第一議会の開会です。波瀾万丈の初期議会のはじまりです。
帝国議会は衆議院と貴族院の二院制であり、貴族院は華族や多額納税者を中心に構成されていました。初期議会では自由民権運動の流れをくむ「民党」が牛耳る衆議院に対し、貴族院は藩閥・官僚寄りで、法案や予算案をめぐって対立します。
非常に事務的な文書ですが、大河ドラマなどでお馴染みの人物やその子孫もたくさんいます。中には「まだ、いたんだ」(失礼)と思うような人もいますね。九条道孝とか(調べてみたら1839年生まれで、そんなに高齢でもありませんね)。
上から拾っていきますと、最後の広島藩主の浅野長勲、元徳島藩主で後に大臣などを歴任する蜂須賀茂韶、岩倉使節団の山口尚芳、『八重の桜』に登場した槙村正直、明六社で知られる加藤弘之・中村正直、官僚出身の尾崎三良などなど、そうそうたるメンバーです。
名簿はまだまだ続きます。興味がある方は国立公文書館のWebページで閲覧してください。例えば、元琉球国王の尚泰、当ブログでも言及した元彦根藩主の井伊直憲、『花燃ゆ』のヒロインの夫楫取素彦、軍人として知られる谷干城・三浦梧楼、徳川宗家16代目の徳川家達、実業家の野村治三郎・下郷伝平などの名前が挙がっています(以上、『日本人名大辞典』等参照)。
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