2016年10月14日金曜日

町村長の郡制廃止意見 3


 
 

「個人団体提出整理意見○郡制廃止ノ件ニ付意見書 高知県 西尾常則外十名」(3)
出典:『公文別録・臨時制度整理局書類・大正元年・第八巻・大正元年』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 別00158100 

【釈文】
回顧スレハ郡制廃止ノ問題ハ賢明ナル現内閣諸公ノ曩ニ
勇断果決シテ帝国議会ニ提案セラレ国民ヲ代表スル衆
議院ハ大多数ヲ以テ通過シタルニ拘ラス或事情ニ依リ貴族
院ニ葬ラレタルモノナレバ与論ノ上ヨリ言ヘハ国民ノ大多数ハ正ニ
其廃止ヲ切望シテ止マサルヤ因ヨリ論ナキ所ナリ故ニ今更廃止
ノ当否ヲ論議スルノ余地ナク要ハ只断ノ一字ニ在リト言フモ過言
ニアラサルヲ信ス
殊ニ廃止法律案ノ不成立後ニ於テハ当時廃止論ノ一理由トシテ
現行郡制ハ幾ント有名無実ナリ試ミニ郡費予算ヲ調査
セシカ郡ノ歳出ハ郡会諸費ト郡視学ヲ除ケハ他ニ何等
見ルベキモノ無シトノ論評アリシニ対シ郡事業ノ起ラサルハ郡長ニ手
腕ナキニ由ルモノヽ如ク考ヘ百方苦心シテ各種ノ事業ヲ物色シタル
結果或ハ不急ノ土木事業トナリ或ハ郡有林ノ経営トナリ或
ハ補助費ノ濫給トナリ而カモ是等ノ事業中郡全般ヨリ打算
シタル公益ノ見地ヨリ観テ得失相償フモノト至リテハ真ニ千分ノ一
ニモ足ラサルノ実際ナリ之レカ為メ町村ハ其存立ニ必要ナル経費
スラ尚ホ痛ク削減スルニ非サレバ郡費ノ分賦ニ応スルノ道ナキ究
地ニ陥リツヽアルヲ思ヘハ転々郡制廃止ノ遅カリシノ憾ナキ能
ハス或ハ言ハン郡制必スシモ不可ナルニアラズ其之ヲ運用スル
ノ郡当局者其人ヲ得サルニ因ルト然レドモ既往ニ於テ果シテ其
人ヲ得サリシニアリトセバ将来ニ於テモ亦其人ヲ得ルコトハ到底言フベクシテ
行フ可ラズ随テ政府カ現行郡制ヲ廃止セスシテ単ニ監督権ノ作
用ニ依リ郡費ノ整理緊縮ヲ急言スルモ到底其実効ヲ奏ス
ルノ時機ナキヤ必セリ今ヤ幸ニ現内閣諸公ニ於テ臨時制度
整理局ヲ特設セラレタルヲ機トシ郡制廃止法律案ノ提出ヲ
断行スルニアラサレバ何レノ時カ之ヲ断行スルノ時機アラン若シ暫ク姑
息策ニ甘ンセサル可ラサルノ事情アリトセバ現行郡制ノ上ニ相当改正ヲ加ヘ
郡費ノ分賦モ亦府県税市町村税ノ如ク厳然タル賦課
ノ制限ヲ設ケ町村ノ進歩発展ヲ阻害スルカ如キ余地ナキ
規定ヲ設クルハ蓋シ急中ノ急務ナリト信ス文意ヲ悉クサス
希クハ賢明ナル総裁閣下某等ノ意ノ在ル所ヲ賢察シテ採納
セラレンコトヲ切望シテ已マス
右謹テ意見ヲ提出ス
   大正元年八月二十八日
高知県町村長総代 
幡多郡平田村長 西尾常則 
同 清松村長 柳川信虎 
高岡郡佐川町長 西村亀太郎 
  同 梼原村長 大野驥 
吾川郡伊野町長 伊藤英孝 
土佐郡潮江村長 谷民衛 
土佐郡旭村長 岡崎誠吉 
長岡郡後免町・野田村組合長 山本正心 
香美郡山田町長 松尾冨功録 
同 野市村長 村上正豊 
安芸郡赤野村長 仙頭米太郎 
 
  臨時制度整理局総裁侯爵西園寺公望殿


【読み下し文】
 回顧すれば郡制廃止の問題は賢明なる現内閣諸公のさきに勇断果決して帝国議会に提案せられ、国民を代表する衆議院は大多数をもって通過したるに拘らず、ある事情により貴族院に葬られたるものなれば、与論の上より言へば国民の大多数は正にその廃止を切望して止まざるや因より論なき所なり。故に今更廃止の当否を論議するの余地なく、要はただ断の一字に在りと言ふも過言にあらざるを信ず。
 殊に廃止法律案の不成立後に於ては、当時廃止論の一理由として現行郡制は幾(ほと)んど有名無実なり、試みに郡費予算を調査せしが、郡の歳出は郡会諸費と郡視学を除けば他に何等見るべきもの無しとの論評ありしに対し、郡事業の起らざるは郡長に手腕なきによるものの如く考ヘ、百方苦心して各種の事業を物色したる結果、あるいは不急の土木事業となり、あるいは郡有林の経営となり、あるいは補助費の濫給となり、しかもこれ等の事業中郡全般より打算したる公益の見地より観て得失あい償ふものと至りては真に千分の一にも足らざるの実際なり。これがため、町村はその存立に必要なる経費すらなほ痛く削減するに非ざれば郡費の分賦に応ずるの道なき究地に陥りつつあるを思へば、転々郡制廃止の遅かりしの憾なきあたはず。あるいは言はん、郡制必ずしも不可なるにあらず、そのこれを運用するの郡当局者その人を得ざるに因ると。されども既往に於て果してその人を得ざりしにありとせば、将来に於てもまたその人を得ることは到底言ふべくして行ふべからず。したがって、政府が現行郡制を廃止せずして単に監督権の作用により郡費の整理緊縮を急言するも、到底その実効を奏するの時機なきや必せり。今や幸に現内閣諸公に於て臨時制度整理局を特設せられたるを機とし郡制廃止法律案の提出を断行するにあらざれば、何れの時かこれを断行するの時機あらん。もし暫く姑息策に甘んぜざるべからざるの事情ありとせば、現行郡制の上に相当改正を加へ、郡費の分賦もまた府県税・市町村税の如く厳然たる賦課の制限を設け、町村の進歩発展を阻害するが如き余地なき規定を設くるは、けだし急中の急務なりと信ず。文意ヲ悉(つ)くさず。希くば賢明なる総裁閣下、某等の意の在る所を賢察して採納せられんことを切望してやまず。
 右、謹で意見を提出す。
   大正元年八月二十八日
高知県町村長総代   
幡多郡平田村長 西尾常則  
(他10名省略)

  臨時制度整理局総裁侯爵西園寺公望殿
 

【コメント】
 前回の続きです。ようやく署名・宛名まで来ました。
 
 過去に郡制廃止法案が帝国議会に提出されたこと、そのことが郡の無駄な事業をさらに誘発してしまったことなどを指摘し、現行の郡制を廃止するか、または大幅改正よって郡費に制約を設ける必要があると述べています。
 
 宛名の臨時制度整理局総裁は、内閣総理大臣が兼任していました。
 
 その後の郡制について述べておきましょう。この意見書が提出された段階では、郡制廃止は実現しませんでした。最終的に原敬内閣の下で「郡制廃止に関する法律」が衆議院・貴族院の両院を通過したのは、1921(大正10)年です。この法律の成立により、郡の権限は縮小し、大正の末までに郡役所自体が消滅しました。郡が担ってきた業務は、府県庁やその出先機関に引き継がれました(「郡制」・「郡制廃止問題」『国史大辞典』)。
 
 郡制廃止は、本文書を提出した西尾ら町村長たちの思惑通りの結果は招かなかったようです。郡役所が消滅した結果、郡費負担はなくなりましたが、町村財政負担による行政事務は肥大化する一方であり、財政的な余裕は生まれなかったのだといいます(川口由彦『日本近代法制史』第2版、新世社、2014年)。
 
 もし誤読などがありましたらご指摘ください。特に町村名は非常に簡単なチェックしかしておらず、町村長名は簡単に確認する手段が思い当たりません。

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