2016年10月29日土曜日

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 11月の半ばには復帰する見込みです。

2016年10月17日月曜日

貴族院成立






「貴族院成立ス」(部分)
出典:『公文類聚・第十四編・明治二十三年・第三巻・政体三・議会二・布告式・制度雑款(暦気象度量衡)』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 類00449100 

【釈文】
本日部会相定リ貴族院成立致候間
別紙相添此段及御通報候也
                                                       貴族院議長伯爵伊藤博文  
   明治二十三年十一月廿五日
  内閣総理大臣伯爵山県有朋殿 

(別紙)
第一部
 部長
  正二位侯爵浅野長勲
 理事
  従三位子爵鍋島直彬
 部員
  従一位侯爵九条道孝
  従一位侯爵醍醐忠順
  従二位侯爵蜂須賀茂韶
(以下、名簿略) 


【読み下し文】
 本日、部会あい定り、貴族院成立いたし候あいだ、別紙あい添え、この段御通報に及び候なり。
                                                       貴族院議長伯爵伊藤博文  
   明治二十三年十一月廿五日
  内閣総理大臣伯爵山県有朋殿
 
(名簿省略) 
 

【コメント】
 1890(明治23)年、貴族院の開会を通知する文書です。いわゆる第一議会の開会です。波瀾万丈の初期議会のはじまりです。

 帝国議会は衆議院と貴族院の二院制であり、貴族院は華族や多額納税者を中心に構成されていました。初期議会では自由民権運動の流れをくむ「民党」が牛耳る衆議院に対し、貴族院は藩閥・官僚寄りで、法案や予算案をめぐって対立します。

 非常に事務的な文書ですが、大河ドラマなどでお馴染みの人物やその子孫もたくさんいます。中には「まだ、いたんだ」(失礼)と思うような人もいますね。九条道孝とか(調べてみたら1839年生まれで、そんなに高齢でもありませんね)。

 上から拾っていきますと、最後の広島藩主の浅野長勲、元徳島藩主で後に大臣などを歴任する蜂須賀茂韶、岩倉使節団の山口尚芳、『八重の桜』に登場した槙村正直、明六社で知られる加藤弘之・中村正直、官僚出身の尾崎三良などなど、そうそうたるメンバーです。

 名簿はまだまだ続きます。興味がある方は国立公文書館のWebページで閲覧してください。例えば、元琉球国王の尚泰、当ブログでも言及した元彦根藩主の井伊直憲、『花燃ゆ』のヒロインの夫楫取素彦、軍人として知られる谷干城・三浦梧楼、徳川宗家16代目の徳川家達、実業家の野村治三郎・下郷伝平などの名前が挙がっています(以上、『日本人名大辞典』等参照)。

2016年10月14日金曜日

町村長の郡制廃止意見 3


 
 

「個人団体提出整理意見○郡制廃止ノ件ニ付意見書 高知県 西尾常則外十名」(3)
出典:『公文別録・臨時制度整理局書類・大正元年・第八巻・大正元年』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 別00158100 

【釈文】
回顧スレハ郡制廃止ノ問題ハ賢明ナル現内閣諸公ノ曩ニ
勇断果決シテ帝国議会ニ提案セラレ国民ヲ代表スル衆
議院ハ大多数ヲ以テ通過シタルニ拘ラス或事情ニ依リ貴族
院ニ葬ラレタルモノナレバ与論ノ上ヨリ言ヘハ国民ノ大多数ハ正ニ
其廃止ヲ切望シテ止マサルヤ因ヨリ論ナキ所ナリ故ニ今更廃止
ノ当否ヲ論議スルノ余地ナク要ハ只断ノ一字ニ在リト言フモ過言
ニアラサルヲ信ス
殊ニ廃止法律案ノ不成立後ニ於テハ当時廃止論ノ一理由トシテ
現行郡制ハ幾ント有名無実ナリ試ミニ郡費予算ヲ調査
セシカ郡ノ歳出ハ郡会諸費ト郡視学ヲ除ケハ他ニ何等
見ルベキモノ無シトノ論評アリシニ対シ郡事業ノ起ラサルハ郡長ニ手
腕ナキニ由ルモノヽ如ク考ヘ百方苦心シテ各種ノ事業ヲ物色シタル
結果或ハ不急ノ土木事業トナリ或ハ郡有林ノ経営トナリ或
ハ補助費ノ濫給トナリ而カモ是等ノ事業中郡全般ヨリ打算
シタル公益ノ見地ヨリ観テ得失相償フモノト至リテハ真ニ千分ノ一
ニモ足ラサルノ実際ナリ之レカ為メ町村ハ其存立ニ必要ナル経費
スラ尚ホ痛ク削減スルニ非サレバ郡費ノ分賦ニ応スルノ道ナキ究
地ニ陥リツヽアルヲ思ヘハ転々郡制廃止ノ遅カリシノ憾ナキ能
ハス或ハ言ハン郡制必スシモ不可ナルニアラズ其之ヲ運用スル
ノ郡当局者其人ヲ得サルニ因ルト然レドモ既往ニ於テ果シテ其
人ヲ得サリシニアリトセバ将来ニ於テモ亦其人ヲ得ルコトハ到底言フベクシテ
行フ可ラズ随テ政府カ現行郡制ヲ廃止セスシテ単ニ監督権ノ作
用ニ依リ郡費ノ整理緊縮ヲ急言スルモ到底其実効ヲ奏ス
ルノ時機ナキヤ必セリ今ヤ幸ニ現内閣諸公ニ於テ臨時制度
整理局ヲ特設セラレタルヲ機トシ郡制廃止法律案ノ提出ヲ
断行スルニアラサレバ何レノ時カ之ヲ断行スルノ時機アラン若シ暫ク姑
息策ニ甘ンセサル可ラサルノ事情アリトセバ現行郡制ノ上ニ相当改正ヲ加ヘ
郡費ノ分賦モ亦府県税市町村税ノ如ク厳然タル賦課
ノ制限ヲ設ケ町村ノ進歩発展ヲ阻害スルカ如キ余地ナキ
規定ヲ設クルハ蓋シ急中ノ急務ナリト信ス文意ヲ悉クサス
希クハ賢明ナル総裁閣下某等ノ意ノ在ル所ヲ賢察シテ採納
セラレンコトヲ切望シテ已マス
右謹テ意見ヲ提出ス
   大正元年八月二十八日
高知県町村長総代 
幡多郡平田村長 西尾常則 
同 清松村長 柳川信虎 
高岡郡佐川町長 西村亀太郎 
  同 梼原村長 大野驥 
吾川郡伊野町長 伊藤英孝 
土佐郡潮江村長 谷民衛 
土佐郡旭村長 岡崎誠吉 
長岡郡後免町・野田村組合長 山本正心 
香美郡山田町長 松尾冨功録 
同 野市村長 村上正豊 
安芸郡赤野村長 仙頭米太郎 
 
  臨時制度整理局総裁侯爵西園寺公望殿


【読み下し文】
 回顧すれば郡制廃止の問題は賢明なる現内閣諸公のさきに勇断果決して帝国議会に提案せられ、国民を代表する衆議院は大多数をもって通過したるに拘らず、ある事情により貴族院に葬られたるものなれば、与論の上より言へば国民の大多数は正にその廃止を切望して止まざるや因より論なき所なり。故に今更廃止の当否を論議するの余地なく、要はただ断の一字に在りと言ふも過言にあらざるを信ず。
 殊に廃止法律案の不成立後に於ては、当時廃止論の一理由として現行郡制は幾(ほと)んど有名無実なり、試みに郡費予算を調査せしが、郡の歳出は郡会諸費と郡視学を除けば他に何等見るべきもの無しとの論評ありしに対し、郡事業の起らざるは郡長に手腕なきによるものの如く考ヘ、百方苦心して各種の事業を物色したる結果、あるいは不急の土木事業となり、あるいは郡有林の経営となり、あるいは補助費の濫給となり、しかもこれ等の事業中郡全般より打算したる公益の見地より観て得失あい償ふものと至りては真に千分の一にも足らざるの実際なり。これがため、町村はその存立に必要なる経費すらなほ痛く削減するに非ざれば郡費の分賦に応ずるの道なき究地に陥りつつあるを思へば、転々郡制廃止の遅かりしの憾なきあたはず。あるいは言はん、郡制必ずしも不可なるにあらず、そのこれを運用するの郡当局者その人を得ざるに因ると。されども既往に於て果してその人を得ざりしにありとせば、将来に於てもまたその人を得ることは到底言ふべくして行ふべからず。したがって、政府が現行郡制を廃止せずして単に監督権の作用により郡費の整理緊縮を急言するも、到底その実効を奏するの時機なきや必せり。今や幸に現内閣諸公に於て臨時制度整理局を特設せられたるを機とし郡制廃止法律案の提出を断行するにあらざれば、何れの時かこれを断行するの時機あらん。もし暫く姑息策に甘んぜざるべからざるの事情ありとせば、現行郡制の上に相当改正を加へ、郡費の分賦もまた府県税・市町村税の如く厳然たる賦課の制限を設け、町村の進歩発展を阻害するが如き余地なき規定を設くるは、けだし急中の急務なりと信ず。文意ヲ悉(つ)くさず。希くば賢明なる総裁閣下、某等の意の在る所を賢察して採納せられんことを切望してやまず。
 右、謹で意見を提出す。
   大正元年八月二十八日
高知県町村長総代   
幡多郡平田村長 西尾常則  
(他10名省略)

  臨時制度整理局総裁侯爵西園寺公望殿
 

【コメント】
 前回の続きです。ようやく署名・宛名まで来ました。
 
 過去に郡制廃止法案が帝国議会に提出されたこと、そのことが郡の無駄な事業をさらに誘発してしまったことなどを指摘し、現行の郡制を廃止するか、または大幅改正よって郡費に制約を設ける必要があると述べています。
 
 宛名の臨時制度整理局総裁は、内閣総理大臣が兼任していました。
 
 その後の郡制について述べておきましょう。この意見書が提出された段階では、郡制廃止は実現しませんでした。最終的に原敬内閣の下で「郡制廃止に関する法律」が衆議院・貴族院の両院を通過したのは、1921(大正10)年です。この法律の成立により、郡の権限は縮小し、大正の末までに郡役所自体が消滅しました。郡が担ってきた業務は、府県庁やその出先機関に引き継がれました(「郡制」・「郡制廃止問題」『国史大辞典』)。
 
 郡制廃止は、本文書を提出した西尾ら町村長たちの思惑通りの結果は招かなかったようです。郡役所が消滅した結果、郡費負担はなくなりましたが、町村財政負担による行政事務は肥大化する一方であり、財政的な余裕は生まれなかったのだといいます(川口由彦『日本近代法制史』第2版、新世社、2014年)。
 
 もし誤読などがありましたらご指摘ください。特に町村名は非常に簡単なチェックしかしておらず、町村長名は簡単に確認する手段が思い当たりません。

2016年10月11日火曜日

町村長の郡制廃止意見 2


 

「個人団体提出整理意見○郡制廃止ノ件ニ付意見書 高知県 西尾常則外十名」(2)
出典:『公文別録・臨時制度整理局書類・大正元年・第八巻・大正元年』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 別00158100 

【釈文】
近時最モ下級公共団体ノ苦ミツヽアル郡費ノ膨張ハ主トシテ
地方政党ノ党勢拡張ノ為メト自己選出地ノ利害ノ打算ヨリ来
ル事業ノ競争ニ原ケルハ争フ可ラサルノ事実ナルモ此ノ競争
心ヲ利用セントスル郡当局者ノ対郡会策ハ愈々益々此悪弊
ヲ助成セシメタル事実アリ斯ノ如ク一方ニ於テ地方政党ハ党勢
拡張策ト選出町村ニ何等カノ利益ヲ齎サンガ為メニスル
交換的小策盛ニ行ハレ或ハ土木ト言ヒ或ハ補助ト言ヒ全
力ヲ挙ケテ之ヲ自家町村ニ獲得セントスル代リニ他ノ町村ニ
於ケル不急ノ事業ヲ助成セサル可ラサル急所ヲ捉ラヘテ郡当局者カ
議員ヲ操縦シ議員ハ亦自己選出町村ノ利害ヲ見テ郡全般
ニ渉ル利害ヲ考ヘス郡当局者ハ窃ニ自己ノ位置ニ及ボス私的利益
ヲ考ヘテ郡公共ノ利害ヲ見サル場合多ク故ニ一方ニ於テ利益問
題ノ起ルニ当リテハ必スヤ亦他方ニ於テ之ニ対スル交換的事業ノ
提案セラレサルコトナク二者相須ク不急ナル事業ノ濫設トナリ補助
費ノ濫給トナリ無用ノ経費ハ之レカ為メニ年ヲ追フテ激増ノ勢ヲ
馴致シタルモノナリ斯カル情弊ノ伏在セル者ニ対シ経費ノ整理
緊縮ヲ望ムハ寧ロ不可能ノコトヲ責ムルニ異ナラズ若シ住□
達観シテ直言スレハ今日ノ如ク郡ニ不急ノ事業濫設セラレ或ハ
無用ナル補助費ノ濫給トナリ為メニ経費ヲ激増シテ町村ヲ苦メ
ツヽアル直接ノ責任ハ郡当局者ト地方政党ノ間互ニ軽重厚
薄ナシト雖ドモ二者ニ対シテ如斯余地ヲ与ヘ町村ノ進歩発達ヲ
阻害スルノ甚シキニ至ラシメタルモノハ府県制、市町村制ノ如キ課税
ニ関スル法律上ノ制限ナキ経費ヲ町村ニ分賦シテ徴収シ得
ル郡制其ノモノヽ罪ニ帰セサル可ラズ若シ依然トシテ現行郡制
ノ下ニ在テ町村カ無制限ノ郡費分賦ニ応セサル可ラストセバ
政府ニ於テ急言疾呼セラレツヽアル地方財政ノ整理ト緊縮
論ノ影響ハ結局最下級ノ団体タル町村ノ財政ヲ搾ルノ始
末ニ終ラン某等ハ敢テ矯激ノ説ヲ立ツルモノニアラズト雖ドモ
現行郡制ハ速ニ之ヲ廃止セラルヽモ何等地方ノ振興ニ妨ケヲ
来スノ虞ナキノミナラズ郡制ノ廃止ハ反テ町村振興ノ妨害ヲ
排除スルモノタルヲ信スルノ理由ヲ有スルモノニシテ苟モ地方自治ノ
実際ニ通暁スルモノハ悉ク某等ノ同論者タルヲ確信スルモノナリ
(つづく) 

【読み下し文】
 近時最も下級公共団体の苦みつつある郡費の膨張は、主として地方政党の党勢拡張のためと、自己選出地の利害の打算より来る事業の競争に原(もとづ)けるは争ふべからざるの事実なるも、この競争心を利用せんとする郡当局者の対郡会策は、愈々益々この悪弊を助成せしめたる事実あり。かくのごとく一方に於て地方政党は党勢拡張策と選出町村に何らかの利益を齎(もたら)さんがためにする交換的小策さかんに行はれ、あるいは土木と言ひ、あるいは補助と言ひ、全力を挙げてこれを自家町村に獲得せんとする代りに他の町村に於ける不急の事業を助成せざるべからざる急所を捉らへて郡当局者が議員を操縦し、議員はまた自己選出町村の利害を見て郡全般に渉る利害を考へず、郡当局者は窃(ひそか)に自己の位置に及ぼす私的利益を考へて郡公共の利害を見ざる場合多く、故に一方に於て利益問題の起るに当りては必ずやまた他方に於てこれに対する交換的事業の提案せられざることなく、二者あいすべからく不急なる事業の濫設となり、補助費の濫給となり、無用の経費はこれがために年を追ふて激増の勢を馴致したるものなり。かかる情弊の伏在せる者に対し経費の整理緊縮を望むは寧ろ不可能のことを責むるに異ならず。もし住□を達観して直言すれば、今日のごとく郡に不急の事業濫設せられ、あるいは無用なる補助費の濫給となり、ために経費を激増して町村を苦めつつある直接の責任は郡当局者と地方政党の間互に軽重厚薄なしといえども、二者に対してかくのごとき余地を与へ町村の進歩発達を阻害するの甚しきに至らしめたるものは、府県制・市町村制のごとき課税に関する法律上の制限なき経費を町村に分賦して徴収し得る郡制そのものの罪に帰せざるべからず。もし依然として現行郡制の下に在て町村が無制限の郡費分賦に応ぜざるべからずとせば、政府に於て急言疾呼せられつつある地方財政の整理と緊縮論の影響は、結局最下級の団体たる町村の財政を搾るの始末に終らん。某等は敢て矯激の説を立つるものにあらずといえども、現行郡制は速にこれを廃止せらるるも何等地方の振興に妨げを来すのおそれなきのみならず、郡制の廃止は反て町村振興の妨害を排除するものたるを信ずるの理由を有するものにして、いやしくも地方自治の実際に通暁するものは悉く某等の同論者たるを確信するものなり。
(つづく) 

【コメント】
 前回の続きです。
 郡役所の職員と郡会議員のそれぞれの事情によって無駄な事業が行われ、郡費を提供している町村の負担が増している、その原因は郡費を制限なく町村に課すことが可能な郡制という法律にある、町村の振興のためには郡制の廃止が必要だと主張しています。
 郡制については前回のコメントをご覧ください。
 読めない文字が1文字ありましたので、「□」で示しています。読める方がおられたらご指摘ください。

2016年10月8日土曜日

夏目金之助(夏目漱石)の辞職願


「第五高等学校教授夏目金之助依願本官被免ノ件」(部分)
出典:『任免裁可書・明治三十六年・任免巻八』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/ 
  請求番号 任B00329100
 

【釈文】
    辞職願
第五高等学校教授   
夏目金之助  

右ハ病気ノ為メ劇務ニ堪ヘ難ク辞職ノ
上静養仕度候間医師診断書相添此
段願上候也
   明治三十六年三月十一日
右 夏目金之助(印)  
  文部大臣理学博士男爵菊池大麗殿 


(別紙)
    診断書
夏目金之助  
右者目下神経衰弱症ニ罹リ劇務ニ
堪ヘ難キモノト診断ス
   明治三十六年三月十一日
医学博士 呉秀三(印)
 
【読み下し文】
    辞職願
第五高等学校教授   
夏目金之助  
 右は病気のため劇務に堪へ難く、辞職の上、静養つかまつりたく候あいだ、医師診断書あい添へ、この段願ひ上げ候なり。
   明治三十六年三月十一日
右 夏目金之助(印)  
  文部大臣理学博士男爵 菊池大麗殿
 

(別紙)
    診断書
夏目金之助  
 右は目下神経衰弱症に罹り、劇務に堪へ難きものと診断す。
   明治三十六年三月十一日
医学博士 呉秀三(印)  
 

【コメント】
 夏目金之助(漱石)が第五高等学校(熊本県)を辞職する際、提出した文書の写しです。
 「三月三十一日付ヲ以テ発令相成候様御取計有之度此段及御依頼候」(参考画像1)とする文部省総務局人事課長の文書が添えられて、内閣総理大臣・文部大臣の上奏書(参考画像2)が提出されました。
 NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」を見て気になったので、国立公文書館デジタルアーカイブで夏目金之助を検索しましたが、ヒットしたのはこの文書だけでした。もしかしたら名前でヒットしないだけで、他にも任免関係の文書くらいは残っているかもしれません。
 

【参考画像】
 
1 文部省総務局人事課長の添付文書
 
 

2 総理大臣の上奏 

 
 
 

2016年10月5日水曜日

町村長の郡制廃止意見 1



「個人団体提出整理意見○郡制廃止ノ件ニ付意見書 高知県 西尾常則外十名」(1)
出典:『公文別録・臨時制度整理局書類・大正元年・第八巻・大正元年』
  国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
  請求番号 別00158100
 
【釈文】
    郡制廃止之件ニ付意見書
某等謹テ書ヲ西園寺臨時制度整理局総裁閣下ニ奉リ敢テ
郡制廃止法律案ヲ帝国議会ニ提出セラレンコトヲ切望シ而シテ
郡制ノ廃止ハ地方費ノ軽減ト自治体ノ革新発展ヲ図ル上ニ於テ最
モ痛切ナル方法手段タルヲ確信スルモノナリ
某等平素身ヲ町村行政機関ノ班ニ置ク者焉ンゾ其法規ノ与フル
権限ノ範囲ヲ知ラサルモノナランヤ知テ而シテ敢テ閣下ニ郡制廃止ノ
急ヲ訴フル所以ノモノハ近時政府カ憂慮セラレツヽアル地方財政ノ
整理ト一ハ自ラ信スル自治団体ノ故ナキ重負担ヲ免レシメ以テ其発
展振興ヲ熱望スルノ余リ最早黙々ニ付スルニ忍ビザルモノアレバナリ
区々タル権限論ニ拘泥シテ言フベキヲ言ハサルガ如キハ真ニ国家
ヲ思フ者ノ為ス可キコトニアラサルヲ信ス何ンソ猥リニ論ヲ好ンテ閣
下ヲ煩スモノナランヤ
(つづく) 

【読み下し文】
    郡制廃止の件につき意見書
 某等、謹で書を西園寺臨時制度整理局総裁閣下に奉り、敢て郡制廃止法律案を帝国議会に提出せられんことを切望し、而して郡制の廃止は、地方費の軽減と自治体の革新発展を図る上に於て、最も痛切なる方法手段たるを確信するものなり。
 某等、平素身を町村行政機関の班に置く者、焉(いずく)んぞその法規の与ふる権限の範囲を知らざるものならんや。知て而して敢て閣下に郡制廃止の急を訴ふる所以のものは、近時政府が憂慮せられつつある地方財政の整理と、一は自ら信ずる自治団体の故なき重負担を免れしめ、もってその発展振興を熱望するの余り、最早黙々に付するに忍びざるものあればなり。区々たる権限論に拘泥して言ふべきを言はざるが如きは真に国家を思ふ者の為すべきことにあらざるを信ず。何んぞ猥りに論を好んで閣下を煩すものならんや。
(つづく) 

【コメント】
 1912(大正元)年の郡制廃止意見書です。
 長文なので、数回に分けて掲載します。
 今回活字化した部分では、郡制廃止を求める本意見書の要点を述べ、「権限ノ範囲」を超えて意見を述べる必要があると説明しています。
 本文書は、高知県の町村長の「総代」が提出したものです。「町村行政機関ノ班ニ置ク者」などと書かれているのはそのためです。
 ここで問題となっている郡ですが、当時は府県庁や市町村役場とは別に郡役所が置かれ、町村を監督していました。県会や町村会と同じように郡会(郡の議会)を持ち、郡会議員は選挙によって選出されていました。こうした郡のあり方を取り決めたのが郡制という法律です(「郡制」『国史大辞典』参照)。
 郡制については明治期からいろいろと問題が取りざたされていましたが、その一つが財源でした。郡は課税権を持たず、郡予算は市町村に分担させることによって成り立っていました。
 この文書でも財源問題が郡・町村の双方に悪影響を与えていることが指摘されます。