「新潟県下高田住士族柴田克巳等ヘ就産資金貸下ノ件」(部分)
出典:『公文録・明治十七年・第百十八巻・明治十七年四月・農商務省(二)』(請求番号 公03782100)国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
(1枚目の左ページから)
潟農第二九号
新潟県士族就産資金貸下之義
上申
新潟県高田住士族柴田克巳初メ百七
十二名授産資金拝借之義県官稟請
ニ因リ篤ト審按候処該士族之義ハ廃
藩以来確実ナル業務ニ就ク者僅々ニ
シテ其他ハ何レモ日雇稼或ハ商業ニ従
事スルモ不馴ニシテ且資力ニ乏敷其目
的ヲ達スル能ハサル而已ナラス終ニ破産
ニ及ヒ現今策計殆ト竭ントスルノ場合
ニ立至リ候ニ付今般有志相謀リ養蚕
製茶ノ二業ニ従事シ将来生活ノ途ヲ
確実ニナサントスルニ当リ前陳ノ如ク何
レモ平素貧困ニシテ資本ノ欠乏ニ苦
ミ官貸ヲ請求スルハ不得止之事情ニ有
之且其事業タル士族適応ノ業務ニシ
テ施設ノ方法モ確実ト被存候間
該業為資本金六千円無
利子本年貸下ケ候月ヨリ二十一年六月迄
置据同年七月ヨリ向フ四ヶ年賦返納ノ
定ヲ以テ十六年度勧業委托金ノ内ヨリ
貸与就業確立候様篤ク保護為致度
依之別紙申牒書類写及指令按相添此
段相伺候条至急仰御裁可候也
明治十六年九月十七日
農商務卿西郷従道
太政大臣三条実美殿上申ノ趣聞届候事
明治十七年四月十五日
【読み下し文】
潟農第二九号新潟県士族就産資金貸下の義
上申
新潟県高田住士族柴田克巳初め百七十二名、授産資金拝借の義、県官稟請により篤と審按候ところ、該士族の義は廃藩以来確実なる業務に就く者僅々にして、その他は何れも日雇稼あるいは商業に従事するも不馴にして、かつ資力に乏しく、その目的を達する能はざるのみならず、終に破産に及び、現今策計殆ど竭(つき)んとするの場合に立至り候につき、今般有志あい謀り養蚕・製茶の二業に従事し、将来生活の途を確実になさんとするに当り、前陳の如く何れも平素貧困にして資本の欠乏に苦み、官貸を請求するはやむを得ざるの事情にこれあり、かつその事業たる士族適応の業務にして施設の方法も確実と存ぜられ候間、該業資本金として六千円、無利子、本年貸下げ候月より二十一年六月まで据え置き同年七月より向ふ四ヶ年賦返納の定をもって、十六年度勧業委托金の内より貸与、就業確立候よう篤く保護致させたく、これによって別紙申牒書類写および指令按あい添え、この段あい伺い候条、至急御裁可仰ぎ候なり。
明治十六年九月十七日
農商務卿西郷従道
太政大臣三条実美殿
上申の趣聞き届け候事
明治十七年四月十五日
【コメント】
農商務卿が柴田克巳らに対して養蚕・製茶等の資金の貸し付けを行うために作成した文書です。6千円の貸与が決定されています。柴田克巳らが希望した通りの金額ですが、新潟県の上申書や柴田らの願書は訂正後のものしか綴じられていません。おそらく最初はもっと高額の貸与を求めていたのだと思います。
生糸と茶は当時の主要な輸出品です。明治11年に柴田らが採掘しようとしていた「石炭油」はどうなったのでしょうね。もうやめてしまったのでしょうか。
この文書には、農商務卿の指令文按(案)、新潟県大書記官の「士族就産金拝借之儀上申」(明治15年12月)、庄田直道・柴田克巳が新潟県令へ提出した「高田住士族就産拝借金再願」(明治15年12月)が添付されています。ここで示した釈文・読み下し文と重複する部分が非常に多いため、添付文書の紹介は割愛します。ただし、「高田住士族就産拝借金再願」には、「高田住士族就産会社設置主意書」と名簿、予算書などが添付されています。なかなかに興味深いので、次回、「設置主意書」の一部を紹介しようと思います。
添付文書の方が本文よりも年月が新しいですが(この文書は9月、添付文書は12月)、これは農商務省が上申書を一旦取り下げ、新潟県の上申書、柴田らの願書を訂正させているためです。上の2枚目の画像右ページに削除か所があるのも、おそらく新潟県などによる訂正を反映したものでしょう。
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